4).座ってお聴きなさい
「ちくしょー!ここどこだよー!!」
どこまでも続いているような、誰もいない長い廊下。
むなしく響き渡る自分のわめき声を聞きながら、ロマーノは小さな手でぐしゃりと頭をかきむしった。
ここはオーストリアの家。
弟ともども連れてこられたこの家は、まだ幼いロマーノにはあまりに広過ぎた。
泣きべそをかいてばかりの弟に辟易して部屋を飛び出したはいいけれど、気づけば周りは見たことのない場所。
道を聞こうにも、人気は無く、自分の足音以外はただただ静寂があるばかり。
「・・・ちっくしょう」
じわり、とこみ上げてくる涙をやりすごそうと、こぶしを握り締め、何も無い廊下の向こうを睨みつける。
心細さに、涙が零れ落ちそうになったその時。
―――――
「音楽…?」
やわらかい旋律が、ロマーノの耳に届いた。
広がりを持って空気に響くこの音は、ピアノだろうか。
ふらふらと、微かな音を頼りに、廊下を歩き出す。
歌うように響く旋律が次第に近くなっていくにつれて、ロマーノの足は自然駆けるように早まっていった。
「はぁっ、はぁっ・・・!」
見覚えのある扉の向こうから、漏れ聞こえてくるピアノの旋律。
小さな身体全体が心臓になってしまったかのように、どくりどくりと血の巡る音がうるさい。
整わない息もそのままに、ロマーノはもたつく手で扉を開けた。
「ん?あー兄ちゃーん!」
耳に押し寄せてくるピアノの演奏と共に、扉の開いた音に気づいた弟が満面の笑顔で飛び掛ってくる。
加減なしのアタックに、ロマーノは弟の下敷きになるように後ろからぐしゃりと倒れこんだ。
「うわっ!いってぇ・・・!この馬鹿弟!」
「ごめーん兄ちゃんー」
泣きべそで謝る弟を押しのけて、衝撃に痛む体を無理やり起こす。
視界に入ってきたのは、一台のグランドピアノ。
兄弟の騒ぎも気にせず、それは優雅な音を奏で続けている。
ゆったりと演奏しているのはこの家の主、オーストリアだった。
「そこの二人、騒がしくするのなら出てお行きなさい」
演奏を止めず、兄弟に視線を送ることもしないまま、オーストリアはぴしゃりと言う。
ごめんなさい、と慌てて謝る弟の横で、ロマーノはむっつりと黙った。
素直な弟と違って、ロマーノは元来言われたことについ反抗してしまう性分である。
その上、今は迷子になりかけて心細い思いをした挙句、弟に飛び掛られて体も痛い。
苛立ちにまかせて、ロマーノはわめき散らそうと大きく息を吸い込んだ。
しかし。
「聴くのなら、座ってお聴きなさい」
「・・・・・は?」
「はーい!」
一瞬早く言われたオーストリアの言葉と、それに嬉しそうに返す弟の声に、ロマーノは思い切り出鼻をくじかれた。
暇もなく、弟にぐいっと身体をひっぱられ、小さな椅子へと座らせられる。
「ちょっ、お前!!」
「兄ちゃんーちょっとつめてー」
一人がけの椅子に無理やり兄弟二人で座る。
しばらくもぞもぞと動いていい座り具合を見つけると、弟は兄の抗議も気にせず、すっかり演奏に聞き入る姿勢に入った。
オーストリアはと言えば、やはり、鍵盤の上で指を踊らせ続けている。
「すっごく上手だよねー」
「・・・・・」
「きれいな音ー」
「・・・ふん、まあまあだな」
ほぉっとため息をついて聞きほれる弟に、ロマーノは毒づいて返事をする。
それでも、美しく優しいピアノの音色は、じんわりと染み入るようで。
だんだんとささくれ立った心が穏やかになっていくのを感じていた。