メリーすきです
「日比谷、日比谷ー」
「何?」
書類をめくっていた手を止めて、日比谷は声のした方に振り返った。
テーブルにべったりと上半身を預けた半蔵門と目が合う。
半蔵門の手には、ペットボトルに入った黒い液体。
手慰みのように動かす度に、たぷりたぷりと音を立てて揺れる。
しばらくつまらなそうにそれを見て、半蔵門は日比谷に向けてニッと唇を引き上げて見せた。
「おいしいところがメリークリスマス!」
「…は?」
唐突な言葉に、日比谷は思わず気の抜けた声を出す。
「…って意味分かんなくね?」
いや、お前の言葉がまさにそうだから。
喉元まで出かかった突っ込みを、日比谷はなんとか飲みこんだ。
半蔵門の言った言葉の節回しには聞き覚えがある。
今まさに半蔵門が手にしている飲料の、TVCMで使われているキャッチコピーだ。
クリスマスバージョンのそれは、確かに元の宣伝文句を知らなければよく意味がわからない。
「まあ、確かにね」
「だっろー!」
日比谷の同意が嬉しかったのか、半蔵門は手にしたペットボトルを勢いよく振り上げた。
容器の中に半分以上残っている液体は、どんどん白い泡だらけになっていく。
きっともう飽きたんだろうなぁ、と日比谷はただそれを横目で見るだけにとどめた。
「でも、うちも人のこと言えないでしょ」
そう言いながら、日比谷は手に持った書類の中の一枚にまた目を落とした。
いつの間にか席を立った半蔵門も、日比谷の背中越しにそれを覗きこむ。
「あーエチカ?」
「そう」
二人の視線の先で、白いウサギが目をぱっちりと開けてこちらを見ていた。
クリスマスイベントを告知する広告のそれ。
黒地に白抜き文字で印刷されたコピーは、どこか先ほどの言葉に通じるものがある気がする。
「日比谷ぁ」
「ん?」
しばらくそれを眺めていた二人だったが、半蔵門の声に日比谷は顔を上げた。
斜めに見上げたすぐ横にある顔に、日比谷はほんの少し驚く。
気づいてみれば、ずいぶんと距離が近い。
「ちょっと早いけど、メリー好きです!」
「うわー…」
ためらいなく発せられた言葉に、日比谷は力ない声をあげた。
限りなく嫌そうに歪んだ顔が、「言っちゃったよ、コイツ」と雄弁に語っている。
あからさまな日比谷の表情にも動じず、半蔵門は笑顔で言葉を続けた。
「ほら、日比谷も」
「嫌だ」
「えー!ずりぃ!」
「ずるくない」
半蔵門の盛大なブーイングにも日比谷はまったく動じず、短く拒否するだけ。
それでも諦めない半蔵門が食い下がり、する、しない、の押し問答が続く。
「じゃあ、キスして、キス」
「何がじゃあなのか意味がわからない」
「愛情表現だって!」
「しないったらしない」
「じゃあ、ハグ!」
「もうしてるだろ!勝手に!」
言い争っているうちに、半蔵門は日比谷の肩に手をやってずしりと体重を預けてきた。
それが今では頭を日比谷の肩に乗せ、すっかり背中から抱きすくめる形になっている。
振り返って相手をするのも癪なので、不本意ながら日比谷は半蔵門の好きにさせていたのだ。
「日比谷ちゃんの意地悪…」
肩のあたりから、くすんとわざとらしい泣きまねが聞こえる。
押しつけられた頭の重さを感じながら、日比谷はそれを無視して書類に目を落とした。
「日比谷ぁ〜」
「………」
「こっち向いて?」
「………」
「向くだけでいいから」
「………はぁ」
あわれっぽく訴えかける声は、もちろん芝居でしかない。
証拠に、日比谷が後ろを振り向いて見た半蔵門の顔は、満面の笑みだ。
わかっていて結局振り向いてしまう自分は、本当に甘い。
そんなことを思っている内に、ひょいっと半蔵門の顔が近づいてきた。
向くだけでいいって言ったくせに、と浮かんだ文句ごと、唇がふさがれる。
目をつむって受け入れたキスは、嫌になるほど甘ったるい味がした。