それが、うれしい


「先輩、おめでとうございます」
まだまだ手のかかる後輩から顔を合わせて一番に贈られた言葉。
それに有楽町は一瞬驚いたように目を開いて、それからほんの少し頬をゆるませた。
今日は自分の開業日。
まだまだ開業間もない副都心のように大々的に祝うような事はないけれど、こうして祝いの言葉をかけてもらうのは純粋に嬉しい。
「ありが…ってうわっ!」
「プレゼントです、どうぞ」
返事を待たずに、顔のすぐ前にズイッと押し付けられた紙袋。
「危な…ってか、重っ!!」
見た目に反して意外に重量のあるそれを、落とさないように慌てて受け取った。
抱えた両手に感じる、ずしりとした重み。
「中身なんなんだ?」
「ハチミツです」
蜂蜜?と言葉を繰り返して、紙袋の中に手を入れる。
出てきたのは、若い女の子が好みそうな色鮮やかなリボンでラッピングされた箱。
それを開けると、小ぶりの瓶が二つちょこんと並んでいた。
「へぇ、洒落てるじゃないか」
かわいらしいイラストと英字の並んだラベルのついた瓶を一つ手にとって、顔の前に掲げて見る。
とろりと揺れる濃厚な液体に、透けた光が金色に光った。
意外なセンスに驚きながら、有楽町はプレゼントのお礼を言おうと口を開く。
が、
「ハチミツは胃に優しいらしいですよ」
先輩にぴったりだと思いまして、そんな風に付け加えられた言葉に、用意した言葉がぴたりと止まった。
俺の胃痛の原因のほぼ半分はお前なんだけど。
そう言いたい所だが、ニコニコニコと笑顔を浮かべる副都心に、有楽町はもう何も言う気になれなかった。
「…まあ、とにかくありがとう、嬉しいよ」
半分苦虫をかみつぶした顔になりながらも、言いそびれたお礼を口にする。
どんなものであれ、祝ってくれる気持ちは嬉しい。
胃痛云々や、業務中に重い紙袋はちょっと邪魔だなぁという事は、この際考えないでおく。
「あ、西武さん」
「え?」
唐突に自分の後方に向けられた視線に、有楽町はつられたように後ろに振り向いた。
振り向いてすぐ、ぱっと目に入る金の髪。
青い制服との対比で、どんなに人がいようとすぐにわかる。
「おーい、西武池袋さーん!」
「うわ、バカ、お前!」
両手を振り上げて大声で呼ぶ副都心に、慌てて振り返る。
急いで口を塞いでも、もうすでに後の祭り。
恐る恐るもう一度振り返れば、とてつもなく不機嫌そうな顔をした池袋と目が合った。
「こんな往来で大声を出すな!お客様の迷惑だろう!」
イライラとそんな台詞を吐き捨てながら、池袋はつかつかと足早にこちらに近づいてくる。
「あーごめん…よく言って聞かせるんで…」
飄々とよそ見をしている副都心と、不機嫌に腕を組んだ池袋とに挟まれながら、有楽町は頭を下げる。
さっきの副都心よりもお前の方が声が大きいなんて、今は言えない。
「まったく…」
平身低頭で謝る有楽町に、池袋もなんとか怒りを収めてくれたらしい。
「それで?こんな所で遊んでいるくらいなのだから、今は何事も起こっていないのだろうな?」
「ああ、うん大丈夫。異常なし」
「うむ、ご苦労」
その調子で励め。
そんな言葉を残して、池袋は颯爽とその場を去っていく。
人ごみに消えていくその背中を見送って、有楽町ははぁっと小さく溜息を吐いた。
「先輩、大丈夫ですか」
「いや、平気だけど。元はと言えばお前のせいだよね」
「ははは、まあいいじゃないですか」
ちっとも反省の色が見えない顔で、副都心は笑った。
それよりも、と話題を変える言葉に、窘めようとした台詞を飲みこまされる。
「今夜は池袋さんと約束してるんじゃないんですか?」
「いや、してないけど?」
「えっ!?」
派手に驚いた副都心の様子に、返事をした本人の有楽町が逆にびっくりさせられた。
決定事項の確認のように言われても、そんな予定はどこにもない。
「だって、先輩と池袋さんって付き合ってるんですよね?」
「うん」
「さっき、おめでとうも何もなかったじゃないですか」
だからてっきり、夜二人っきりで甘い時間を過ごすのかと。
真顔でそんな風に言う副都心に、有楽町は呆れたように黙り込む。
とりあえず、甘い時間ってなんだ。
「別に今までも特になかったし」
いろいろと突っ込みを入れたい気持ちを抑えて、有楽町は淡々と答えた。
自分も開業して大分たっているし、相手はもっと年を重ねている。
今更、特別に祝うようなものでもないだろう。
「えー…」
有楽町の答えは、どうやら副都心の気には召さなかったらしい。
不満げな後輩に、有楽町はふっと笑う。
「いいんだよ、それに…」
「それに?」
言いかけた言葉を促すように、副都心が繰り返す。
言葉を待つ副都心の顔に目の端に収めつつ、有楽町は口を開いた。
「あいつがね、ご苦労って言ってくれるだけで十分なんだよ」
業務を終えて、顔を合わせた時にそっとかけられる労いの台詞。
毎日きちんと走っている、その証明のような言葉だから。
「それが聞けるのが、何よりも嬉しい」
唇が自然と笑みの形を作っているのを自覚しながら、有楽町は呟くようにそう言った。
おめでとうなんて言葉より、毎日その言葉を聞ける方が、ずっと嬉しい。
「……………」
ふっと副都心へと目をやれば、ぽかんと口をあけてこちらを見つめる顔。
若いやつにはわからないか、なんて年寄りめいた自分の思考に苦笑していると、副都心がゆっくりと口を開いた。
「……なんだか、すっごく惚気られた気分です」
大真面目な顔で言う副都心の声は、ひどく悔しそうで。
有楽町は、声をあげて笑った。


サイト掲載:09/10/31(遅れてゴメン…先輩)