みんなと一緒にしないで
この季節特有の甘くて浮ついた空気も、本番の今日は最高潮。
屋上や中庭はできたてカップルたちの幸せビームで目の毒。
廊下でひそひそ話をする女子も、落ち着かずにそわそわしてる男子も、見ている分にはかわいらしいものだけど。
去年のわたしもあの中にいたのかなと思うと、ちょっとへこむ。
いつにもまして歩きにくい休み時間の廊下を何とか通り抜けてみれば、広がるのはさらに落ち込む光景で。
「若サマせんせ!チョコあげる!」
「先生、あたしのもー!」
「わーみなさんありがとうございますー」
チョコレート片手に群がる女子に囲まれた、白衣姿の男性教員。
白衣のポケットは、パラソルチョコやら板チョコやら果てはお菓子の箱まで、あふれ出しそうなほど詰まっている。
去年も見た光景に頭を抱えていると、当の本人がこちらに気づいたようで。
「ああ、委員長さん。どうかしましたか?」
向けられるのは、いつもどおりの平和そうな満面の笑み。
思わず抜けそうになる気をどうにか引き締めて、わたしはバッと手に持ったプリントを先生の目の前に掲げた。
「……第一回進路面談のおしらせ」
「はい、そのとおりです。さて提出期限はいつでしょう?」
「……2月15日、です」
「では、どうして明日提出の大事なプリントが、HRも終わった今、いまだに、先生の机の上に、乗っていたんでしょうね〜?」
「えーと……ごめんなさい」
突きつけたプリントの向こうに、あわてふためいて油汗を浮かべた先生の顔。
素直に謝っておまけにちょこんと頭も下げるものだから、まるで教師と生徒が逆転したような図になる。
耐え切れなくなったのか、周りの女子生徒たちからもクスクスと笑いが漏れた。
「若サマせんせ、またいいんちょーに怒られてるー」
「もー、いいんちょーと若ちゃんほんとナイスコンビだよねー」
せんせえ、しっかりしなよーなんて笑って言いながら、周囲の女子は教室に戻っていった。
「あはは、言われちゃいました」
「まったくですよ。わたしは先生のマネージャーじゃないんですからね」
「マネージャー。うん、それはいい考えだ」
それは妙案、とポンッと手を叩いて言う。
とぼけたような行動も、本人は大真面目だとわかるから性質が悪い。
「もー、マネージャーになるくらいならわたしが先生になっちゃいますよ」
「ああ、それはいいですね。先生も君の授業なら受けてみたい」
きっと睨むように見上げてみても、にこにこにこと本当に楽しそうな顔。
思わずこちらの表情もゆるんでしまう。
「あーもう、はいはい。じゃあ、わたしみんなに帰らないように言っておきますから、先生早くきてくださいね」
「あー、委員長さん。ちょっと待って」
すでに歩きだしていた足を止め振り向くと、目の前にずいっとそろえた両手が差し出された。
「……なんでしょう?」
「去年の委員長さんのチョコレートすごくおいしかったなーもう一回食べたいなーあ、催促してるわけじゃないですよ?」
食べたいなー食べたいなーと楽しそうに節をつけて歌うように呟く。
調子にあわせて揺れる手のひらは、言ってることと反対にちょうだいちょうだいと催促していて。
「……はあ……わかりました。じゃあ、目を瞑ってください」
「はーい」
素直に目を瞑って、嬉しそうに返事をする。
しょうがないなあと苦笑して、その手のひらに乗せてあげる。
「まだですよ、まだですからね!」
「はいはーい」
「……………」
「楽しみです。まだですかー?」
「……………」
「委員長さん?」
「……………」
「えーと………えい。……………プリント型のチョコ?」
「そんなわけないだろう」
「うわっ竜子さん!?」
先生のいる廊下からは死角になる階段の踊り場。
私が手に乗せた進路相談のプリントを両手で持ってマジマジと見ている先生に、おいおいと突っ込んだ心の声とまったく同じ言葉が聞こえて振り返る。
わたしのちょうど背後に、本気で呆れた顔をした竜子さんが立っていた。
「もう、おどかさないでよー」
「渡さないのかい、ソレ」
わたしの言うことなんて聞かずに、竜子さんはまっすぐ私の胸ポケットを指差した。
「………なんでわかったの?」
「あんたここ最近ずっと甘い匂いしてたからさ」
「竜子さん、鋭すぎ………」
見た目には変わらないそこから、小さな包みを取り出す。
何度も何度も練習して、完璧に作ったチョコレート。
「で?」
「渡さないよ」
きっぱり言ったわたしに、竜子さんは意外な顔をする。
「だってね。これ本命チョコなのよ」
蘇る去年のバレンタインデーの記憶。
同じように何度も何度も練習して、綺麗にラッピングして、自分自身も磨いて迎えた当日。
『わ、若王子先生、あの、これ、よかったら…』
『わーおいしそうな義理チョコだ』
『え、えと…』
『先生、教頭先生に義理チョコ以外もらっちゃいけないっていわれてるんです。だから、ね?』
『………はい』
もらってくれたのは、先生の優しさだってわかってる。
それしかしようがないのも十分。
それでも。
「………義理チョコじゃ、ないの」
「………あんたも馬鹿だねぇ」
「………わかってる」
「でも、あんたのそんなとこ、あたし嫌いじゃないよ」
うつむいたわたしの頭を、女の人にしては大きな手がゆっくり撫でてくれる。
つられて顔をあげると、優しい笑顔がわたしを見てくれていて。
「……………同じ禁断の恋なら、わたし竜子さんに恋すればよかったわ」
「そうかいそうかい。あたしは遠慮するよ」
ひどーいと笑いながら、先を行く竜子さんの後を追う。
階段を上る途中でちらりと後ろを振り返ると、まだ先生はあの場でプリントを眺めていて。
その様子にクスリと笑ってから、ごめんなさいと心の中で謝る。
一生懸命用意したチョコレート。
いつもいつも思っている気持ち。
わたしがなりたいのはあなたの「特別」で。
だから。
みんなと一緒にしないで欲しいの。
教師と生徒5題 お題配布元:BLUE TEARS