夜の匂いと伝わる熱と。

濃密な夜の気配。
どこかねっとりとからみつくような暑く湿度を含んだ空気。
闇に身体を押し付けられる感覚にすぅっと息を吸い込めば、草花の濃い香りにむせそうになる。
常ならば静けさに包まれる時間。
しかし、今日は町のいたるところに人の気配が途切れないまま。
人々の話声や笑い声が広場にさざめき、視線は空へと向かう。
どこかおかしなその感覚に、ルークは一人鼓動が早くなるのを押さえられずにいた。
「ルーク」
「うわぁっっ!?」
ぼぉっとした頭のまま、突如後ろからかけられた声に思わず大きな声をあげてしまう。
急いで後ろを振り返ると、呆れた表情をして人ごみの中からこちらへと向かってくるジェイドがいた。
「そんなに驚く様なことですか」
「わ、わりぃ…」
「一人きりですか?ティアたちはどうしたんです?」
「え、さっきまで一緒に…あれ?」
尋ねられた問いに、周りをきょろきょろと見渡すが見知った顔は誰もいない。
ここまで一緒に来たティア・アニス・ナタリアの女子組だけでなく、足元をうろちょろしていたミュウまでもいなくなっていた。
よくよく見てみれば、周りの景色も今までいたところとはかなり違っている。
「え、え、嘘。なんでだ??」
一人パニックに陥っているルークに、ふぅっと溜息をついてジェイドは手を目元へと押しやる。
「…大方、あなた一人でふらふらとはぐれたんでしょう。子どもじゃないんですから、迷子になるのはやめてください」
「だ、だって、こんなの初めてだったから…」
お説教モードに入ったジェイドに、ルークは一応抵抗を試みる。
たまたま立ち寄ったこの村で、今日祭りが開催されるのだと知ったのは宿を取ってすぐのことだった。
酒が振舞われる広場に腰をすえた大人組と、おいしそうな食べ物や簡単なおもちゃが売られる屋台を覗くおこさま組とに分かれて祭り見物に出かけたのは数分前。
かわいらしい人形や甘い菓子にきゃあきゃあと声をあげる女子達についていきながらも、ルークは祭り特有の浮かれた空気にあてられ無意識に遅れをとっていた。
気がつけば、たった一人で広場へと戻ってきてしまっていたのだ。
「まぁ、村祭りとはいえ、マルクトでも有名な大規模の祭りですからねぇ。人ごみに圧倒されるのも仕方ありませんが…」
未だどこか夢見心地のようなルークの表情に、ジェイドは苦笑して顔を和らげる。
「女性だけというのも心配ですが、彼女達なら心配ないでしょう。それに、いい時間に戻ってきましたよ、ルーク」
「え?」
それはどういう意味、と問い返そうとした瞬間、ドォンっと空気が震えた。
びくっと身体を震わせて、慌てて空を見上げると暗い空に光の花が咲いていた。
「……!すっげぇぇっっ!!」
「譜術の応用で空に火花をあげているのですよ。この祭りが有名なのは夜これが打ち上げられるからなんです」
様々な色の光が、大きな音とともに空へと打ち上げられる。
消えては浮かぶ美しい花には素直に見惚れてしまう。
けれど、それと共に身体を揺らすような破裂音がする度、ルークはびくりとその身体が震えるのを止められなかった。
(くそっ、これじゃ俺がびびってるみたいじゃねーか!)
隣に立つ男にばれたら、嬉々として嫌味なセリフを聞かされることだろう。
ルークはなんとか平静を装うとするが、それは無駄な努力だった。
ドォォオンッと特別大きな音がこだました後、盛大に肩を震わせたルークにジェイドはふ、と視線を向ける。
(ああ…っばれた!!)
音に驚いたせいか、はたまた、すぐそこに待ち受ける嫌な未来のせいか、さぁっとルークの血の気が引く。
ぎゅうっと目を瞑った、その時。
「うわぁああああんっっ!!」
いきなり聞こえてきた子どもの泣き声に、思わずパッと目を開ける。
ジェイドとルークから少し離れた所で、小さな男の子が座り込んで泣き叫んでいた。
隣にいる父親らしき男が、慌ててその子を抱き上げる。
「こわい〜っ!!おっきぃ音こわいの〜っ!!」
「あーほら大丈夫。大丈夫だから、泣くな。な?」
「うぇっえぇんっ!!」
ぎゅっと父親の首にしがみついて泣きじゃくる子どもに、父親は少し大変そうだったが、周囲は暖かな目を向ける。
同じように親子を眺めていた二人だったが、続けて起きた大きな音にルークは思わず身をすくめてしまった。
「…あなたもだっこしてあげましょうか?」
「ば、ばかにすんなっ!!俺は子どもじゃねぇ!!」
くすくすと意地の悪い笑みを浮かべる大人に、精一杯の虚勢をはる。
しかし、それも、真っ赤な顔とやはり音のたびに揺れる身体のせいで、少しも意味をなさない。
「…ふ」
「わ、笑うなぁ!!」
恥ずかしさにルークは腕を振り上げるが、ジェイドはスイッと優雅にそれを避けた。
くすくすと笑いながら、逆にルークが振り上げた手をすっと掴む。
そのまま、自分の手のひらの中にルークの手を包み込んでしまった。
「な!なにすんだよ!ジェイド!!」
驚いて、ぶんぶんと力任せに手を振るが、ジェイドはにっこりと笑みを浮かべながらもちっともその手を緩めようとはしなかった。
「いやぁ、あなたがあんまりにもかわいいものだから、ついね」
「からかうな!馬鹿!」
「失礼ですね〜褒めてさしあげたのに。ほら、またあがりますよ。見てご覧なさい」
「え」
ドォンっと、また空気が震える。
見上げた空に浮かぶ今日一番の大輪の花。
「う、わぁ…」
光の軌跡を描いて落ちてくるそれは、ここまでくるのではないかと錯覚してしまいそうで。
思わずあいた右手を空へとかざしたルークを見下ろして、ジェイドはふっと笑みを深めた。
赤、緑、青、金。
天から降る色とりどりの光が、二人の顔を染めていく。
手袋越しに伝わる熱に安心するのだろうか、音に驚くことはもうない。
けれど、色とりどりの空を見つめながらも、意識はつながれた手にいったまま。
どきどきどきと心臓は前よりも早いリズムを刻んでいる。
当のジェイドはというと、涼しい顔で空へと視線を戻していて。
そんな大人の様子に悔しい思いをしながらも、この事は隣にいるこの男にばれませんように、とルークは思った。



06/8/13