Tu me manques.

ふわりふわりと浮かぶような、逆に沈んでいくような、何とも言えない感覚。
閉じた瞼越しに、うっすら感じる白い光。
拡散した思考がだんだんと集まってきて、フランスの頭の中に、あぁ、朝か、と短い文を作る。
あいつに朝飯作ってやらないと。
動かない頭で、ぼんやりとメニューを考える。
冷蔵庫には何があったっけ・・・トマト、卵、チーズ・・・
起きようと思っても、頭も身体もまだまだ言うことを聞いてくれない。
気だるさにまかせて、ごろりとベットを転がる。
シーツの冷たさが気持ちいい。
「あれ?」
シーツが冷たい?
感じた違和感に、フランスはパチリと目を開いた。
見慣れた部屋、寝乱れたシーツ、それから自分。
昨日と同じ風景、だけど、一つだけ足りないもの。
「イギリス?」
寝起きでの第一声は、幾分気の抜けた響きになった。
一緒に眠りについたはずの恋人の姿は、部屋のどこにもない。
期待した返事はなく、窓の外からチチチ…と鳥の声。
「・・・帰っちまったかぁ」
はぁっとため息をついて、フランスは寝癖で乱れた頭をばりばりと掻いた。
フランスでの用事は終わったから、朝一で本国へ戻らないといけない、と、イギリスから聞いたような気もする・・・あまりよく覚えていないが。
むくりと起き上がり、昨夜のことを思い返す。
お互いに仕事が忙しく、ここしばらく本当に顔を合わせることがなかった。
仕事と仕事の合間に、ほんの少しだけお互いの予定が合ったのが昨夜。
久しぶりだということと、タイムリミットがある切迫感に煽られて、お互いひどく余裕がなかった。
いつものようなじゃれあいのけんかもなく、話をするのも惜しいと思うほど。
ただひたすらにお互いを貪って。
思い出す昨夜の光景に、ぞわりと指先に痺れが走る。
身体に蘇る昨夜の熱を振り切るように、フランスはぶるりと頭を振った。
「あーあ・・・」
限られた時間の逢瀬は、普段になく刺激的ではあったけれど、こうして一人で迎える朝はほんの少しむなしい。
お互いまだまだ仕事は残っている。
次に会えるのはいつになることか、とガクリとうなだれ、ため息を吐いたその時。
「起きたのか」
ガチャリと扉の開く音とともに、あっさりと落とされた聞きなれた声。
驚いて顔を上げれば、つい先ほどまで考えていた当の本人が、なんでもない顔をして立っている。
「あ、いたんだ・・・」
「何だその言い草」
帰ってしまったものと思っていたフランスがぽつりと漏らした言葉に、イギリスは不機嫌そうに眉を寄せた。
「客間に前置いてったシャツ取りに行ってたんだよ、あと風呂も勝手に使ったからな」
「あーうん、それはいいけど」
先ほどまでの落ち込んだ気分が残っているフランスは、ベットに座り込んだ姿勢のまま言葉を濁した。
そんなフランスを特に気にすることもなく、イギリスは手に持ったネクタイを首にかけ、大股で部屋を横切っていく。
することもないフランスは、ぼんやりと、そんなイギリスの動きを目で追っていった。
イギリスにあわせて移動する視界の向こう、落ちたシーツやら脱ぎ散らかした服やらでさんざんに散らかった部屋。
時間がないのだろう、イギリスはあちらこちらにできた山の中から、慌ただしく自分の荷物を探し出している。
あちらの山からベルトを救出し、こちらの山から携帯を探り当て。
もう一回あちらの山をひっくり返すと、ぼたり、とくしゃくしゃに丸まったネクタイが落ちてきた。
それらすべてを慌ただしく、けれど、几帳面にかばんの中に押し込んで、ポンッと軽く叩くようにかばんの口を閉じる。
ふぅっと満足げなイギリスの顔。
けれど、そのすぐ後ろに、イギリスの物だろうバラの刺繍の入ったハンカチが、ぽつんと落ちていて。
「・・・ぷっ」
すべてを黙って見ていたフランスは、とうとうこらえきれずに口元を押さえて小さく噴き出した。
「んだよ・・・」
機嫌のいいところに聞こえてきた笑い声が気に障ったのか、半ばけんか腰でイギリスが振り返る。
しかし、フランスに向けられた視線は、あ、という気の抜けた声とともに、すぐに足元へと降りた。
途端、ぎゅっと寄せられる眉、かぁっと赤く染まる頬。
わかりやすい反応に、フランスは今度こそ我慢せずに大声で笑い出した。
「〜〜〜〜〜チッ!」
ケラケラと腹を抱えて笑い転げるフランスに、イギリスは怒りにこぶしを震わせながら、けれど、なんとか舌打ちひとつするだけに収めた。
先ほどよりもいくぶん乱暴に、かばんの口を開けて荷物を詰めなおす。
いつもなら、照れ隠しにげんこつの一つや二つ飛んでくるところなのに、今回はどうやら本当に時間がないらしい。
バタバタと慌ただしく、けれど、着々と帰る準備を進めるイギリス。
「・・・・・」
笑い転げてベットに半分突っ伏した体勢のまま、フランスははぁと息を吐いた。
黙ってイギリスの動きを目だけで追えば、何とはなしに胸のあたりが重苦しく感じる。
朝目覚める時に感じたのと同じ、むなしいような、もの足りないような・・・寂しいような。
らしくない、と苦笑いした所で、唐突にばっちりイギリスと視線がかち合う。
考えていたことがわかるわけもないけれど、あまりのタイミングの良さに、フランスは内心どきりと驚いた。
「どうかしたか?」
「んー・・・」
生返事を返しながら、フランスは動揺を隠すように、にへら、とにやけた笑いを浮かべる。
仁王立ちをしたイギリスが、それを見て嫌そうに眉を寄せた。
あーあーそんなにしたら、太い眉がさらに太く・・・と、根拠のない心配をした所で、あ、とフランスの視線がもう少し上、イギリスの頭へと集中する。
イギリスの少しくすんだ金の髪、その本人からは見えないだろう位置に、うねりにうねった盛大な寝ぐせ。
くすと笑って、フランスは体勢を立て直す。
「坊ちゃん、こっち」
「は?」
「寝ぐせ」
直してやるから、と、イギリスに向かって手まねきする。
イギリスはそれに一瞬躊躇して、それから、はぁっとあきらめたように溜息を吐いて。
こっちこっち、とフランスが叩くベットの端へと素直に腰を下ろした。
「はやくしろよ」
「はいはい」
偉そうに足を組んで背中を向けるイギリスの頭に、フランスの手が伸びる。
さらりさらりと指の隙間を通る、少し硬めの、けれど手触りのいい金の髪。
見た目の派手さを裏切って、何度か軽く梳くと、寝ぐせはあっという間に元通りになった。
それをほんの少し寂しく思いながら、フランスは手を止めず、イギリスの頭をなで続ける。
「まだ直んないのか」
若干いらつきの混じったイギリスの声に、もうちょっと、とフランスは答える。
もうちょっと、あと少しだけ。
名残惜しげに、ゆっくりと最後の一梳き。
「はい、おしまい」
ポンッと頭を軽く叩いて、フランスの手がイギリスから離れる。
背を向けたまま、小さくサンキュと呟いて、イギリスが腰を上げた。
ふわりと動いた空気、ほんの少し香るイギリスの香り。
それにつられるように顔を上げたフランスの目に、いつの間にか振り返ってこちらを見ているイギリスの顔が映る。
「ん、なに?」
「・・・・・」
イギリスは無表情で、ただただ黙ってフランスを見つめている。
対するフランスは居心地の悪い思いをしながら、いつも通りの笑みを浮かべる努力をした。
「どしたのよ」
もーお兄さんみとれるほど美人?と、ちゃかしてみる。
イギリスの表情が動かないのを見て、外したか、と内心で焦る。
若干の沈黙の後、イギリスは、はぁーーーー・・・・と深い深いため息をついて。
「へ?」
ぼすり、とそのままフランスの胸に倒れこんできた。
「えーと、イギリス?」
フランスは混乱しながらも、とりあえずイギリスの身体を受け止めてみる。
遅れるよーと言いつつ、抱きとめた腕が、首に、腰に、と慣れた位置へと移動するのはもう条件反射。
「・・・・・いい」
「は?」
「遅れてく、から朝メシ作れ」
フランスの肩口に顔を埋めたまま、イギリスが小さな声で呟いた。
「え、だって急いでるんだろ」
「後で連絡いれる」
あれだけ急いでいたはずなのに、なぜ急に?
不思議に思ってイギリスの顔を窺おうとしても、フランスの目に映るのは肩に押し付けられた金の髪だけ。
ひとまず、目に入ったそれを、さらり、と撫ぜた。
距離がないも同じだけあって、イギリスの香りがはっきりと感じられる。
けれど、シャンプーのせいか、はたまた、一晩共にしたからか、フランス自身の香りも同時にふわり、と香って。
それに気づいたフランスは、ぎゅっとイギリスを抱く腕の力を強くした。
触れ合っている部分ごしに、伝わってくるお互いの熱。
昨夜、あれだけ触れ合っていたというのに、もっともっと、とこの感触を求めている自分に、フランスは驚いた。
本当はこのまま行かせなければいけないのはわかっているけれど、こうして今、イギリスの体温が腕の中にあるのが嬉しい。
「ん、きつい」
クスクスと笑いながら、フランスの胸を軽く押して、イギリスは顔をあげた。
頭をふるり、と軽くふって、それから、じっとフランスを見つめてくる。
フランスの目の前で、その口元が微かに笑みを浮かべて言った。
「うまい飯作れよ」
久しぶりだからって、手抜いたら許さねぇからな、と。
どこか高慢で、からかうような目をして笑うイギリスに、フランスは一瞬呆けて、それからつられたように口元を緩めた。
「りょーかい」
フランスは笑いながら、もう一度、イギリスの身体をぎゅっと抱きしめる。
遅れるとは言っても、きっと長い時間はいられない。
ほんの一時、そして、またしばらく会えなくなるだろうけれど。
今ここでこうしていたいのは、二人とも同じなのだ、と伝わってくるから。
「お兄さん、今幸せだわー・・・」
腕によりをかけた朝食メニューを考えながら、フランスがつぶやく。
そのあまりにも真剣な響きに、イギリスは一瞬照れたように黙って、それから、ばーかと小さく笑った。



Tu me manques.

あなたがいなくて淋しい。/あなたに逢いたい。




08/9/12
「フランス語で囁く愛の言葉」より
お題配布元:縁繋 ― えんけい ―