どうしようもない大人と爪先立ちの子ども

目の覚めるような青空の下、どこまでも続くような広大な大地。
良く言えば自然に溢れた、身も蓋も無く言えば未開拓の原野を前に、フランスはパチリと瞬きを繰り返した。
「いっやー…眩しいねぇ…」
ここは、未だ開発されない大自然の残る若い土地、アメリカ。
何とはなしに思い立って訪れたはいいが、久々の船旅に身体のそこかしこが痛んだ。
(いい加減年かねぇ、いやいや、俺はまだまだ若い)
腰に手を当てて伸びをしながら、頭の中であまり意味の無い自問自答。
最後に無造作に首を捻ると、ぱきりと嫌な音がした。
「さぁてと」
ふぅと一息ついて、フランスは何もない草原に向かって足を踏み出した。
行き先は、見知った小さな子どものいるところ。
この若い大陸自身である子どもは、今頃どうしているだろうか、と思う。
フランスが以前にここを訪れたのは大分前のことだ。
フランスの作った菓子に目を輝かせる小さな存在は、ひどく愛らしく庇護欲を誘った。
子どもの笑顔を思い出しながら、ああ、そういえばと、フランスは軽く眉をしかめた。
(俺なんかよりもずっと、あの子どもにメロメロになってしまったヤツがいたっけ)
「イギリスーーー!!ほらこっちだぞーーー!!」
「ちょっ、待てったら!アメリカ!」
思考を遮るように響いた明るい声に、フランスはふと視線をあげた。
視線の向こう、大分離れた草原で、今まさに考えていた二人が楽しそうに走り回っている。
いや、楽しそうなのは先を走るアメリカだけであって、後を追いかけるイギリスは必死の形相だ。
イギリスの手に小さなベストが握られているのを見るに、着替えの途中で逃げ出されたのだろう。
顔を真っ赤にして笑顔で走り回るアメリカは、よく見ればボタンもあき、シャツは飛び出て、何ともおかしな格好をしている。
しかし、本人はそんなことはちっとも気にせず、イギリスとの追いかけっこを楽しんでいるようだ。
(あーあ、イギリスのヤツ振り回されちゃって)
立ち止まって眺めていたフランスは、苦笑いをして子どもからその後ろへと視線を移す。
アメリカが素早いとは言え、まだ子ども。
後方からイギリスがその間をつめ、すぐにアメリカに追いついた。
「わぁ!!」
「捕まえたぞ!」
軽く息を乱しながら、イギリスはバタバタと暴れるアメリカを取り押さえる。
イギリスに後ろから抱きかかえられて、アメリカはきゃあきゃあとはしゃいだ。
心底楽しそうなアメリカに疲れたような顔をしながらも、イギリスの頬は緩んでいる。
「イギリス!」
振り返ったアメリカと顔をあわせて、イギリスはふわり、と微笑んだ。
「・・・・・」
見たこともないイギリスの幸せそうな笑顔に、フランスは思わず息を呑んだ。
フランスといる時のイギリスは、いつだって眉根を寄せて不機嫌そうにしている。
長年の付き合いにはなるが、口を開けば悪口雑言、その上喧嘩っ早いイギリスとは、腐れ縁以外のなにものでもない。
だから、そのイギリスが、どんな顔をしていようと関係ないはずではあるが。
(・・・・・なんだこれ)
それでも、自分の見たことのないイギリスの表情に、フランスは胸になんとも言えないいらつきが広がるのを感じた。
(ヨーロッパじゃ、あんな顔しないくせに)
一面の緑の中、笑いあう二人は、ひどく幸せそうで。
まるで一枚の絵のようなその光景を、フランスはどうしようもなく壊してしまいたいと思った。
「あれ?」
黙って立ちすくんでいたフランスに気づいたアメリカが、驚いて声をあげる。
声につられるように、イギリスもフランスの方へと視線を向けた。
「げ!フランス!!」
先ほどまでの甘い顔はどこへ行ったのやら。
フランスを目にとめた途端、イギリスはひどく顔をしかめて睨んできた。
あんまりな豹変の仕方ではあるが、フランスにとってはこちらの方が見慣れたもの。
不思議と、正体の知れない胸のもやもやがすっと消えていった。
忙しく変化する胸の内をいぶかしみながらも、そんなことはおくびにも出さず、フランスはいつも通りニヤニヤと嫌な笑いを浮かべて二人に近付いていく。
「よぉーアメリカ、お前大きくなったなぁ」
そう言って、わしゃわしゃと乱暴に子どもの頭をなでる。
触れてみて初めて、その頭の位置が以前よりもずいぶん高くなっていることに気づいて、フランスは軽く目を見張った。
「うわ、やめてくれよフランス!もう子どもじゃないんだぞ!」
上から迫るフランスの手を払いのけようとしながら、アメリカはぷぅと頬を膨らませた。
頭をなでられるのを嫌がるくらいには成長しているようだが、その反応はまだまだ幼い。
大きくなったとは言っても中身は子ども、と安心して、フランスは上機嫌に言葉を重ねた。
「子どもじゃないって、なんだ、下の毛でも生え」
「今すぐその口を閉じろ、変態!」
殺気だった声をあげて、イギリスがフランスの言葉を遮る。
下品なからかいを聞かせまいと、両手でアメリカの耳を塞いで自分の方へと引き寄せた。
アメリカを抱いて全身で敵意を表すイギリスは、まるで子を守る親鳥のよう。
ギッとフランスを睨みつける目が、いっそ笑える程に棘々しい。
「イギリス?」
「聞くなアメリカ、耳が腐る」
「おいおい、ちょっとしたジョークだろうが。お兄さんはアメリカの成長を喜ばしく思ってだなぁ」
「うるさい、黙れ、帰れ、むしろ死ね」
「ひどッ!」
フランスのふざけ半分の抗議を無視し、イギリスはせっせとアメリカの身なりを整えてやっている。
フランスに乱された髪を撫で付ける手が、必要以上に長かったのは気のせいではないだろう。
「さて、走り回ったし、嫌なもん見ちまって疲れただろ?そろそろ帰るか」
「ちょっと、さりげなく無視したあげくに、悪口言わないでくれる?」
「何だ、自分のことだっていう自覚はあったのか変態」
「変態変態ってお前、人のこと言えないだろうよ。この間だって・・・」
「黙れぇええええッッ!!それ以上言ったら殺すぞ・・・!!」
フランスの挑発に、イギリスは簡単にのってきた。
思ったとおりの反応を返してくるイギリスに、笑いがこみあげる。
抑えきれないおかしさに口元が緩むのを感じながら、フランスが口を開こうとしたその時。
「・・・・・イギリス」
半分かやの外だったアメリカが、ついとイギリスの袖を引いた。
「俺おなかがすいちゃったよ、早く帰ろう?」
「あ・・・ごめんなアメリカ!よし、帰ってすぐ飯にしような」
先ほどまでの剣幕はどこへ行ったのか、アメリカに視線を戻したイギリスは、あっという間に優しい表情になる。
言っている内容といい、声の調子といい、聞いている方が恥ずかしくなるほどの甘さだ。
会話途中で放り投げられた格好になったフランスは、少し憮然とした気持ちで会話に割って入った。
「イギリス、お前料理作れないだろ。何ならお兄さんが作ってやろうか?」
「なっ!作れないとは何だ!!」
「だって・・・お前んとこの料理、あれ正直ないって」
「ないとか言うなぁ!!」
必死になって否定するイギリスに、フランスは小馬鹿にした顔でからかいの言葉を重ねた。
元に戻った空気に安心して、ふと視線をずらすとこちらを見ているアメリカと目があう。
アメリカはじっとフランスを見た後、おもむろにその視線をそらした。
何か言いたげな様子が気になってフランスが一瞬黙った隙に、アメリカがイギリスへと話しかける。
「でも、俺イギリスの料理食べたいな。イギリスが来るのも久々だし」
「アメリカ・・・!」
にっこりと笑って言うアメリカに、イギリスが大きく目を見張った。
次いで、半分泣きそうになりながらアメリカに微笑む。
「じゃ、じゃあ張り切って作るぞ!」
あからさまに嬉しそうな顔をしながら、イギリスは、あ、と思い出したようにフランスを振り返った。
「フランス、お前も食ってくか?」
形勢逆転とでも言うように、イギリスはにやにやと勝ち誇った笑みを浮かべて言った。
フランスは無言のまま、その背の後ろに立つアメリカへと視線を向ける。
向けられた視線を受けたアメリカは、罪悪感とほんの少しの敵意に揺れながらも、けして自分から視線をそらそうとはしなかった。
(・・・・・ああ、そういうことね)
頭のどこかで冷たく響く自分の声を聞きながら、フランスはへらりと笑顔を作る。
「勘弁、イギリスの料理食わされるくらいなら、大人しく退散するよ」
言った瞬間、ほっと息をついたアメリカを視線の端に止めながら、くるりと身体を翻す。
きゃんきゃんとうるさいイギリスの罵倒が、フランスの背中めがけて降ってきた。
背を向けたまま、ひらひらと手を振って歩いていく。
しばらく続いた罵り声はやがて止み、二人の楽しそうな話し声もついには聞こえなくなる。
そのまま歩き続けて、途中おもむろにくるりと振り返った。
フランスの視界の中で、遠く、幸せそうに話すアメリカとイギリス。
「子どもだと思ってたけど・・・」
ぽつりと呟いて、フランスは先ほどのアメリカの様子を思い出す。
かすかな、それでも確かに自分に向けられた小さな敵意は、しっかりと伝わった。
「さて、どうするか」
小さくなっていく仲睦まじい二人の姿は、どこまでも微笑ましい風景だ。
それなのに、フランスはそれに自分の心がひどく冷えていくのを自覚していた。
愛すべき存在を手に入れたイギリスは、きっと今この上なく幸せだろう。
その愛を一身に受けるアメリカも、当然。
いら、とまた心に波がたつのをフランスは感じる。
腐れ縁だろうが、顔をあわせれば喧嘩をするだけだろうが、長い長い時をイギリスの隣で過ごしたのはフランスだ。
今更、それを誰かに渡してやるつもりは少しもない。
たとえそれが、イギリスの幸せを壊すことであっても。
「悪いな、アメリカ」
無邪気に笑うアメリカに小さく呟いて、フランスは今度こそまっすぐ来た道を引き返す。
ともに過ごす幸せというものは、案外に脆いものだ。
特に国同士であれば時の流れに翻弄されるのは必定、とフランスは経験的に知っている。
ましてそこに他国の手が入れば、なおさら。
本国に帰ってからすることを頭の中で整理しながら、フランスはうっすらと微笑む。
(壊してしまうよ)
ざり、と足元の草を踏みにじって、頭の中の小さな子どもの残像に、宣戦布告。
胸を占めるこの衝動の名前には、気づかないふりをした。


07/10/8
沁々三十題.08 お題配布元:群青三メートル手前