あの人が、泣いてる。
僕らを守り、育ててくれた、あの人が。
あの人はいつだって強くて、大きくて、泣くことなんてないんだと思ってた。
こんな風に、たった一人、みじめに泣き崩れることなんて。
「イギリスさん」
地面にうずくまる彼の真正面に立ち、ためらいがちに名前を呼ぶ。
伏せられた顔が緩慢な動作で、上を向いた。
泣き濡れ、絶望に濁った緑の瞳。
何も映していないようなその色に、一瞬ひるむ。
この人の、こんな表情は知らない。
幼い頃、僕らに向けられた瞳は、いつだってやさしくやわらかく。
どうして、この人は今、こんな顔をしている?
何よりも強くやさしいこの人に、こんな顔をさせるのは誰?
それは。
「イギリスさん」
もう一度名前を呼んで、ゆっくりと彼の前にひざをつく。
鼻先が触れそうなほど近いのに、目の前の彼は身じろぎひとつしない。
ぼんやりと虚空を見つめたままの瞳を、じっと覗き込む。
僕は目元を覆う眼鏡を外して、そして、言った。
「忘れてしまいましょう?」
その言葉に、薄く開いた彼の唇が、ぴくりとわななく。
「もう、思い出は辛いだけでしょう?全て忘れて・・・逃げてしまえばいい」
畳み掛けるような言葉に、彼の意識が少しずつ向けられてくるのがわかる。
絶望に染まった瞳に、かすかにともる救いの光。
僕はずるい。
この人が、誰のせいで、こうなったかを知っているくせに。
この人が、今一番に求めているのが何かを知っているくせに。
「大丈夫、僕は、あなたの傍にいます」
見開かれた緑の瞳。
そこに映る、僕の顔。
嫌になるほど、あいつにそっくりな。
まっすぐぶつけられる視線を避けるように、震える自分を抑えつけながら唇を重ねた。
触れ合った頬に、じとりと濡れる感触。
伝う水滴に、ああ、彼が泣いていると、思う。
肌に感じる涙は温かく、そして、冷たい。