ある秋の日に

窓ガラス越しに、淡く差し込む陽の光。
背の高い書棚ばかり並んだ部屋は、秋の柔らかい空気に混じって古い本の匂いがする。
本を読むにはほんの少し薄暗い明るさは、眠りを誘うには十分で。
窓辺に置かれたカウチに寝そべって、ドイツはうとうととまどろんでいた。
手元には、書棚から適当に引き抜いたハードカバー。
暇つぶしにと開いたはいいが、どうも今の気分には合わなかったようで。
ぱらぱらと流し読みをして、すぐにパタンと閉じてしまった。
部屋は静か、やることもない。
平和だ、とドイツは思う。
めったにない安息の時に、ドイツは満たされた気持ちで目を閉じた。
面倒ごとを押しつける上司もいない、飛びついてくるイタリアもいない、無茶苦茶な要求をつきつけるフランスもいない。
平和だ。
ドイツは、また思った。
窓辺に置かれたカウチは、ドイツの身体には若干狭い。
完璧に寝入るには少し窮屈な手狭さが、また心地よかった。
もう少しこの心地よさを味わっていたい。
そう思いながらも、このまま眠ってしまえば風邪をひく、と頭のどこかで冷静な声がする。
「―――ドイツ」
そんな風に思案をしていた所に、遠くから聞き慣れた声が聞こえてきた。
自分の名を呼ぶその声に、瞬時に同居人の顔が思い浮かぶ。
だんだんと近づいてくるその気配に、ドイツはため息をつきたい気分になった。
きっとまた、どうして自分でやらないのだ、と思うような雑用をドイツにやらせようとしているのだろう。
オーストリアの根っからの貴族気質に、最近は随分と慣れたと思う。
けれど、今はできることならもう少し、この穏やかな時間の中にいたかった。
「ドイツ?」
カチャリ、と扉の開く音とともに、人の入ってくる気配。
ドイツはそれに、ほんの少し後ろめたく思いながらも、寝た振りをする。
「・・・・・寝ているのですか?」
動かないドイツに、オーストリアはどうやら本当に寝ていると思ったらしい。
ほんの少し間をあけて、パタンと今度は扉の閉まる音がした。
コツコツと廊下に響く足音が遠くなっていく。
目を閉じたまま、ドイツはほっと息をついた。
さて、ともう一度意識を夢の世界へと傾ける。
しかし、それもつかの間。
遠ざかっていった足音が、もう一度近づいてくる気配。
え、とドイツが怪訝に思う間もなく、またカチャリと扉が開いた。
コツコツコツと、規則正しい音を立てて、オーストリアはドイツのすぐ傍まで歩いてくる。
ふわり、と何かがドイツの身体に降ってきた。
さらっとした肌ざわりと、ほのかな暖かさに、ああ、ブランケットをかけてくれたのだ、とドイツは悟る。
それと同時に、寝た振りをしてしまったことに微かな罪悪感を覚えた。
しかし、今更起きていたと知られるわけにもいかない。
今起きた振りをしようにも、素の自分が嘘を得意としていない事をドイツは正しく理解していた。
かけてくれたブランケットは、ドイツの身体にはやはり小さかったようで。
几帳面にブランケットをかけ直すオーストリアの気配を間近に感じながら、ドイツは悶々と良心の呵責と闘っていた。
しばらくして、ようやく納得がいったのか、ふわりとオーストリアの手が離れた。
それに、ドイツは内心ほっとする。
しかし、次の瞬間。

ちゅ

唇に、柔らかな感触。
「っ!?」
少し湿って、暖かなそれに、ドイツは思わず目を見開いた。
視界いっぱいに、眼鏡をかけてどこか作り物めいた端正な顔。
閉じられていた瞳がゆっくりと開いて、視線が交わる。
状況が理解できず、慌てるドイツを尻目に、オーストリアは冷静に「おや」と呟いた。
「起きていたのですか」
「・・・・・」
顔色を変えずしれっと言うオーストリアに、ドイツは口を開いたまま何も言うこともできずにいた。
何か言おうと思っても、パクパクと口が開いたり閉じたりするだけで言葉にならない。
そんなドイツに、オーストリアはふぅとため息をついて、「こんなところで寝ては風邪をひきますよ」と言った。
そして、そのまま何事もなかったように出口へと向かっていく。
「ちょ、オーストリア・・・っ!」
呼び止めようと出した声もむなしく、パタンと扉の閉じる音。
やり場なく宙に手を伸ばしたまま、ドイツは呆然とした。
やわらかく触れた唇の感触は、まだはっきりと覚えている。
それなのに、当の本人の何事もなかったのような態度は何なのだ。
寝たふりをしてしまった罪悪感。
突然の接触。
オーストリアの不自然なほどに冷静な態度。
全てがぐるぐると回って、ドイツを混乱の極致に落とし入れる。
しかし。
「―――あっ!」
扉の向こうで、思わずといった短い悲鳴。
続いて、派手に響いた衝撃音に、ドイツは考える前に跳ね起きていた。
「オーストリアッ!?」
バンッと乱暴に扉を開け、廊下に出る。
呼んだ相手は、床に寝ころぶように倒れこんでいた。
「お前・・・何してるんだ?」
「す、少し転んだだけです、お気になさらず」
ポカンとしたドイツの問いに、オーストリアは振り向かずに答える。
パッと周りに視線を走らせるが、廊下にけつまずくような障害物はない。
何もない所で転んだにしてはあまりに派手な転び方に、ドイツは先ほどまでの混乱をどこかにやってしまった。
若干呆れた心地で、オーストリアを見る。
そして、ふと気づいた。
こちらを振り向こうとしないオーストリアの後姿。
そこから見える両の耳が、異常なほどに赤く染まっている。
「・・・オーストリア」
「・・・・・」
答えないオーストリアに、ドイツはゆっくりと近づく。
すぐ傍で膝をついて、ほら、と手を差し伸べた。
床にうずくまったままのオーストリアは、しばらく躊躇して、それでも、観念したようにその手を取る。
隠すようにうつむいていた顔は、耳と同じように真っ赤だ。
真顔のままな表情も、今となっては平静を装っているとしか思えない。
意地っ張りにも程がある。
唐突なキスに驚いた気持ちも、理由のわからない困惑も。
しかけた当人の必死に隠した狼狽ぶりに、全て吹き飛んでしまった。
「・・・ドイツ」
「ん?」
低く抑えた声に応えると、オーストリアがじとっと睨んでくる。
「笑いたいなら、笑いなさい」
顔がにやけていますよ、このお馬鹿。
心底悔しそうに言うオーストリアに、ドイツは慌てて口元を押さえた。


08/10/26